東久留米市の名所・旧跡
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東久留米市の旧跡

米津寺、前沢

 東久留米市幸町に米津寺(べいしんじ)というお寺があります。
 臨済宗(りんざいしゅう)ということなので、禅の宗派の一つで、有名な金閣寺(鹿苑寺(ろくおんじ))、銀閣寺(慈照寺(じしょうじ))とは、同じ宗派ということになります。
 尤も、米津寺は臨済宗妙心寺(みょうしんじ)派(1337年)ということなので、臨済宗のなかでも相国寺(しょうこくじ)派(1392年)の金閣寺・銀閣寺とは、同宗異派ということになります。
 現在の米津寺には山門がありません。明治時代の火災で堂宇(どうう)のほとんどを焼失し、その後再建資金を得るため、唯一焼け残った山門を武蔵国分寺に売却したとあります。売却された山門は、現在、国分寺の楼門(ろうもん)として、国分寺指定重宝となっています。
 米津寺は1659年、米津羽守田盛(よねきつでわのかみたもり)を開基(かいき)とし、米津家の菩提寺として創建されました。
 元々米津家の墓地は、同じ東久留米市内の浄牧院にありましたが、墓参りのため籠に乗ったまま山門に入ったのを見咎められて当時の住職に追い返され、怒った当主が自分の知行地(ちぎょうち)である前沢宿に菩提寺を作ったのが米津寺といわれています。都内に残る江戸時代の大名墓所では、唯一のものとされています。
 初代米津田政(よねきつただまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての旗本で、慶長9年(1604年)から約20年間、江戸北町奉行を務めたそうです。
 旧前沢村は米津家の知行地で、江戸時代初期、徳川家の鷹狩り場として前沢御殿という建物がつくられ、現在の前沢宿の名前の由来となったそうです。

 堂宇 : 堂の軒、堂の建物
 楼門 : 2階造りの門
 開基 : 寺院を創立すること、基礎を築くこと
 知行地 : 江戸時代、大名が家臣に俸禄として与えた土地、または、幕臣である旗本や御家人に与えられた土地

 米津寺 : 〒203-0052 東久留米市幸町4-2-40
 
 参考文献 『東久留米市史』

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